三重県伊勢市で働くサラリーマンの日記です。


by issa_ism
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ウェスティンホテル東京・恩師の退官記念パーティ(2月11日)

読んでいる内に、何だか切なさと歯がゆさを感じていた。「勉強は学生の時にしかできないものだ。今となってはなぁ…」とよく聞いたものだったが、「とうとう自分もそんな歳になりつつあるのかな」とこの日、手にした母校の「國學院大學教育学研究室紀要vol.41」に語り掛けられたような気がする。裏返せば、「いつでも人生日々勉強なのだ」と。
c0114285_2043251.jpg大学の恩師である里見実先生は、「教養の人」とか「知識人」と言われる。一緒に旅をしたことが2度ある。それらの代名詞は共に生活をしてみれば、よくわかるもので、移動の最中しかり暗がりでもしかり、その半端ない読書量にいつも驚かされた。英語・仏語・ポルトガル語等のことばにも堪能である。また、万物に対する興味たるやいつも好奇心旺盛で時には熱中し過ぎる余り、関係者の間では「サトミる」という造語まで生まれた。失礼になるかもしれないが、飽くなき探究心を持ち続けるその少年のような瞳には、周囲を穏やかに和やかにしてくれるものがある。それでいて、先生の発する言葉にはいつでも含蓄がある。存在そのものが知識の塊なのだ。私たちが行き詰った時には、解や結論を導き出してくれるヒントを与えてくれた。
里見実は“天才”である、まさに“長嶋茂雄”、皆の“ひまわり”である。「東南アジアの片田舎でなかなか列車が来ないことに痺れを切らし、大勢の仲間たちをよそにひとりヒッチハイクをした」というエピソードまで伝説になってしまう。その天真爛漫さ、天才たる所以でもある。
c0114285_20474576.jpg前置きが大変、長くなったが、その里見先生の“退官記念パーティ”『古稀を祝う会』が恵比寿にある『ウェスティンホテル東京』で開催された。『宮中歌会始』で有名な歌人の岡野弘彦氏や教育学者の竹内常一氏の姿も見られる盛大な会となった。今の柔和な顔からは想像もできないような学園紛争時の勇ましい姿、『学ぶことを学ぶ』(太郎次郎社・2001/11)という著書からもわかるように「学者・研究者」ではなく、「教師」に変貌していった過程の話等、私の知らない“里見ワールド”に時の経つのを忘れたほどであった。
さて、冒頭の私に戻りたい。今年度の紀要には、里見先生が中心になり1989年から開かれてきた総合講座『第三世界における開発と文化』のレジュメ『講座通信』(2006年度分)が収録されている。毎回、寄せられる受講生の感想や問題を元にし、それに教員たちが呼応する形でこの通年講座は展開されていく。“第三世界”というテーマが決まっているこそすれ、「講座がどういう形で進んでいくのか?」は、第1回の授業時には皆目検討がつかないのだ。教員は“コーディネーター”として、道標や道先案内人とでもいうべき役割を担い、「教える」というよりも共に「学び考える」といったスタイルで関わっている。その毎回の『講座通信』を読んでいると実に面白い。「学びを呼び起こしてくれるというのか」、「本来“学ぶ”とはこういうものなのか」と受講生は回を重ねる度に気付くことだろう。私自身の学生時代、次の回が待ち遠しい授業なんて、片手に余るほどしかなかった。大学の教員は、ややもすれば“与える”・“教える”だけの一方通行的な授業に陥りがちである。また、授業を受ける学生も消費主義の詰め込み型の教育を受けてきた弊害で、受け身の姿勢が染みついてしまっている。「自らの興味に基づいて自ら学び自ら考える」というのが、本来の大学の姿だ。大学生の学力低下が叫ばれてから久しいが、「導入教育」の意義とは「補習教育」や「リメディアル教育」ではなく、“知識探求型”の「学びを想起させる教育」であるべきだ。自分の進むべく方向性が決まらなければ、何も始まらない。それがゆくゆくは、自分の“キャリア・デザイン”を描かせる「キャリア教育」にもつながっていくのではないかと思ったりもする。
今回の紀要には、学生たちがこの講座で触発され、「学び」に気付き、「学び」に引き込まれていく過程が記されている。読み進める内に気持ちが昂ぶってくる。それだから、歯痒さを覚えたり、悲しくさえなったのだ。今思えば、あまりに無為に過ごした私の学生時代であったから…。その結果、ただ“何となく就職し、今を生きている”自分にとっては、「どうやって生きていきたいのか」という重い命題が未だのし掛かっているような気がするのだ。
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by issa_ism | 2007-02-17 17:22 | 休日に